【ラボレポート】KAC S/F Lab. オープンラボvol.5「習俗と寓意」(和田ながら)

2018年2月7日

「九州の筑後川あたりでは、馬の蹄ほどの水たまりがあればそこに河童が千匹ほどいるという話を柳田國男が書いていますが、みなさん、これってどんな状態だと思いますか?」
畑中さんのお話は、河童に関するこんな問いかけから始まった。頭にお皿をのせた、あのお決まりのイメージ――会場に集まった人たちがそれを思い浮かべはじめたところで、畑中さんは、河童を姿かたちのある可視的な「もの」として簡単に想像することにストップをかけた。

筑後川周辺はもともと水害の多い地域であり、多くの人々が亡くなった歴史がある。同時に、生き残った人々は、さまざまな思いを抱いてきた。たとえば、身近な人を喪った悲しみ、生き延びた安堵感、あるいはうしろめたさ。もしかしたら、いなくなってほしいと願っていた相手の死を、おおっぴらにはできないけれども、嬉しく思った人もいたかもしれない。喜怒哀楽とは簡単に言い切れないその複雑でもやもやした感情は、水害の死者たちの霊を河童と名付け、彼らはちっぽけな水たまりにさえも無数に存在しているという物語にすることで、ようやく乗り越えられてきたのではないだろうか。筑後川の河童は怪異の擬人化ではなく、災害のあとにも死者を想像しながら暮らしを紡いでいかなければならなかった人々の生きるすべであったのだ。
こうした「人間の感情や生死」を自分の研究テーマとして取り組んでいるという畑中さん。かつて、日本の人々の死生観では、死とはまったき断絶としてではなく、死者はこの世からは去ったけれども、あの世ではこの世と同じように時間を過ごしているのだろうと捉えられていた。それは、亡くなった人を生前もっとも充実していたであろうシチュエーションで描く絵馬や、未婚のまま亡くなった男性が結婚して子どもをもうける姿を描いた絵馬が各地で奉納されていることにもあらわれている。死者があの世でも幸福な時間を過ごせるように、という願いである。
現代では、今生きている人間が社会を作っているというように考えるのが普通かもしれない。しかし、従来の日本人の社会観の内には、死者もまた欠くことのできない構成員として含まれていた。死者に、あるいは妖怪や神といった存在に、肉体的な手ごたえがあるわけではない。それらに可視的な輪郭を与えるのではなく、目に見えないリアリティをひっくるめて社会というものが営まれていた。畑中さんは、おかしなことを言うと思われるかもしれないけど、と前置きしつつ、「河童にも選挙権を与えるべきだと本気で思ってます」。

畑中さんは続いて、柳田國男もリサーチした長野県・新野の盆踊りを、写真とともに紹介した。この盆踊りの特徴は、楽器をいっさい使わない地声だけの演奏。静かな祭りは三日間続いたあと、死者の数だけ吊られていた提灯を里の外れで焼くことで終わるのだが、祭りの最後の曲はその前のものと打って変わって激しいものになり、里の外に向かう提灯の列は、霊たちが帰っていくのを惜しんで阻もうとする村人たちとぶつかって押しくらまんじゅうを繰りひろげるそうだ。祭りを介して生者と死者がつながり、共に踊る。この盆踊りは現在も続いており、若い世代も積極的に参加しているそうだ。

「彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。」
これは、民俗学者・折口信夫が書いた『死者の書』の冒頭である。二上山の頂上に葬られた大津皇子の霊が暗闇のなかで甦る場面から始まるこのフィクションは、近代に書かれながら近代小説ではない、非常に特異な作品であると畑中さんは言う。さて、『死者の書』は、近代の、あるいは現代の小説を読むのと同じように、キャラクターのビジュアルを思い浮かべながら読むのがふさわしいのだろうか?
ここに呼び出されているのは、現代人とは異なる社会で生きていた古代の人間であり、かつ、死者の霊として登場する。おそらく、この物語は可視化を拒んでいるのだ。しかし、だとすると、可視化に慣れた現代の読者は、不可視のものをどのように「読む」ことができるのだろうか? 
折口は大阪に伝わる俊徳丸伝説を下敷きに『身毒丸』という小説も書いている。この伝説は、能では『弱法師』、人形浄瑠璃と歌舞伎では『攝州合邦辻』という演目で知られ、寺山修司は岸田理生との合作で『身毒丸』を書いた。かように日本の舞台芸術史の中でたびたび上演されてきたわけだが、民間伝承を戯曲化して舞台の上に乗せるというのは、はたしてどんな意味があり、そしてどんな身体性がありえるのだろうか?

民俗学の知見から出発する存在の可視/不可視についての畑中さんの考察は、上演という可視的な場をもつことをその成立の要件とする演劇にとってすこぶる刺激的で、また、鋭く厳しい問いかけでもあった。可視/不可視という軸は、性急な上演=可視化を前提としないことでプラクティカルな種々のことを取り外し戯曲の執筆に専念するという本プロジェクトの本質とも響きあう。
畑中さんが示した「不可視のリアリティ」とでも呼ぶべきものに、劇作家のふたりはいかに応じるのだろうか。2018年夏に公開予定の第二稿になにがあらわれてくるかを、楽しみに待ちたい。


和田ながら

演出家。京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院芸術研究科修士課程修了。2011年2月に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。ユニット名の由来は、手紙を「したためる」。近年の主な作品に、作家・多和田葉子の初期作を舞台化した#4『文字移植』(2016)、テレサ・ハッキョン・チャの実験的著作を題材とした#5『ディクテ』(2017)等がある。同世代との合同公演も積極的に企画するほか、美術家や写真家など異なる領域のアーティストとも共同作業を行う。2015年、創作コンペティション「一つの戯曲からの創作をとおして語ろう」vol.5最優秀作品賞受賞。「したため」は2015年よりアトリエ劇研創造サポートカンパニー。2013年よりDance Fanfare Kyotoの運営に携わるなど、としての活動と並行して、制作スタッフとしてもダンスや演劇の企画に関わる。