松原俊太郎が執筆中の戯曲『カオラマ』の第一稿、第二稿を基にした展示を、リトグラフ作家の松元悠に依頼し、これを開催します。松元はこれまで、新聞やニュースの小さな記事と自身が観察した風景や身体的な実感を文字通り重ね合わせ、版画作品を創作してきました。
今回松元は、ニュース記事にかわり、戯曲という強力なフィクションを読み解き血肉化し、新作を制作します。その作品たちは、戯曲に刻まれた未だ現実化されない相貌を露わにするでしょう。
日時:2018年12月13日 (木) – 1月6日 (日) 10:00‐20:00
※2018年12月26日(水)~2019年1月4日(金)は休館
会場:京都芸術センター ギャラリー北・南
アーティストコメント(松元悠)
これらは記録です。生きている自分と死んでいる他者を記録しています。記録媒体として使用しているリトグラフは、版面に油脂分が触れるとイメージとして定着する性質を持っています。この不可逆性をともなう記録媒体を用いて、現在進行形で起こる実話と日々更新される個人の話を記録しています。
日常の折、生きている人の記録は日々更新蓄積されていきますが、その中で日々更新蓄積が叶わなくなった他者と唐突につながる瞬間があります。テレビニュースを眺めている時がそうです。今のニュースが何だったのか、咀嚼できずに次の当事者が現れる。そのような報道の波の中で、ふと、個人の事象と当事者との間に、何らかの関連性を見つけることがあります。私の場合は、そこから有りもしない、当事者とのもどかしさや怒り、悲しみの共有が発生していくのです。無意識の元で繋がった私と当事者との関係を繋ぎとめようと、ある時は事件現場に行ったり、あるいは当事者の服に似た服装をしてみたり、当事者との共演を試みて強引なこともしました。
メディアで報じられた、正体不明のとある当事者の顔。その顔に思いを馳せ、人物像を推定し、私個人の当事者像が出来上がる。被せた土を掘り起こし、また土を被せるような行為。上演されるはずのなかった、私と当事者の話。それによって、私はいつも緊張しています。
テレビを消した時、テレビは私の顔を映し始めました。
http://www.kac.or.jp/events/24664/
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【公開中の戯曲第一稿・第二稿はこちら】
松原俊太郎『カオラマ』(第二稿)
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松元悠
リトグラフ作家。京都精華大学芸術学部メディア造形学科版画専攻卒業、京都市立芸術大学大学院美術研究科版画専攻修了。
個展に、「松元悠展」Oギャラリーeyes(大阪|2015)「マル秘と鶏」SUNABAギャラリー(大阪|2017)。近年のグループ展に、「Lighter but Heavier 重くもあり軽くもある」C.A.P.(兵庫|2018)、「間間」THE TERMINAL KYOTO(京都|2018)、「~次代を担う作家たち4人展~」京阪百貨店守口店6階美術画廊(大阪|2018)。受賞歴に「京都市立芸術大学制作展」奨励賞(京都|2018)、「アートアワードトーキョー丸の内2108」a.a.t.m.2018三菱地所賞(東京|2018)。ロストック独日協会(ドイツ)、町田市立国際版画美術館(東京)に作品が所蔵されている。